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情報に対しての分析と解釈
情報の種類分け
収集した情報は、そのままでは役に立つものではありません。情報を収集した後、自分自身が何かしらの行動をするために、それらの情報の分析と解釈を行い、情報を自分の判断材料とする必要があります。
どんな情報源であっても、受け手全てにとって公正中立な情報というものは存在しないと考えた方が有益です。どの立ち位置で情報を展開しているかによります。
情報源には以下のものがあります。
・マスメディア
・インターネット
・雑誌、書籍
・信頼のおける人物
一般的に情報源として、マスメディアによって得ることが多いと思います。
TVや新聞、ラジオのマスメディアは、プロとして生業(なりわい)としている人たちが制作や記事を書いています。プロである以上は、読み手の関心がむくように記事を書く傾向が強くあります。
例えば私たち読者の不安を煽ったり、印象操作をするような書き方をしていることが挙げられます。また民間企業なので株主の意向というものが影響してきます。
ニュース記事を記載した記者などが自分が所属している会社の方針に逆らってまで情報を公開することはほとんどありません。記者も生活があるため自分の職を失うリスクを負うことは避けるものです。
次に多いのが、インターネット上で得た情報になります。これは玉石混淆で正しいものもあれば、正しくないものもあります。また情報の内容が薄いものが多かったりすることもあります。またシャドーバンと言われるネット上での検閲も存在します。
そのなかには、アクセス数を稼ぐ手段として炎上記事の情報も存在します。最近のインターネット上で炎上を狙った記事は、情報収集として読むのにあまり適さないものだと考えられます。
他には雑誌や書籍などの印刷物から入手した情報です。この場合は、どのような雑誌や書籍に当たるのかという課題もありますが、比較的良質な情報を入手することができます。しかし時間が経過している場合だと、現代に適用できない場合もあるので注意が必要です。
その他、信頼をおける人からの情報を得るということもあります。あなたの周りにそのような方がいる場合は良いのですが、いない場合は、先に述べたマスメディアやインターネット、印刷物や公開情報を丹念に調べて情報を収集することが中心になります。
情報に対して分析と解釈
入手した情報には、正しいと思われるものを取得してきていると思います。
第一のふるいわけが行われているものです。
それから情報は自分で分析してみます。人から得た情報については、素直になることが大切です。信じられる相手であれば、その人から得た情報を元に行動してみることです。情報を提供して人からは信頼を得られますし、何かしら得ることもあると思います。
中には信じられないような情報もあるかもしれません。その場合は、正誤の判断を一旦保留して情報を置いておきます。後日関連する情報を得て判断できることもあります。
仮に分析について失敗した場合は、その選択をしたのは自分自身ですし、自分という軸があれば経験となり、次へもその経験を活かすことができます。
もしその相手のせいにしてしまうと、自分の成長はなくなってしまい、他人に人生を委ねてしまうものになります。この点にも注意が必要です。
いずれにせよ自分自身の頭で考えることが大事です。自分の頭で考えることは自分の人生に責任をもち、自分の人生を生きることになります。
もし自分の頭で考えることをやめた場合は、他人に判断を委ねて、他人が選んだ人生を生きることになります。
最初はなかなか自分で判断をすることがしにくい場合があります。また未来のことを考えるとあれこれ悩んでしまい、決断することもしにくいかと思います。
判断する前に、その道を聞く
ここで興味深い中国古典のことわざを紹介します。
「老馬の智」という言葉です。
意味は次のとおりです。
年老いた馬はとても利口で、道もよく知っているから迷うことがないことから。
斉の管仲が道に迷ったときに「老馬の智は役に立つ」と言い、老馬の後についていくと、行くべき道が見つかったという『韓非子』にある話に基づく。
この管仲というのは昔の斉(せい)という国の宰相だった優れた人です。その優れた人が老馬とはいえ、道を迷った時には行くべき道を適した馬に従うということは、このことは歴史を学ぶことに、私たちの人生の行く道を知ることができ、私たちに大きな学びを与えているのではないでしょうか。
尋ねる時のコツ「先生」に聞く
この物語を現代に活かすとしたら、その道に詳しい人に尋ねるということになります。その際、年齢や性別は関係ありません。自分自身より若い人もいれば、年配の方に尋ねることになります。
特に年齢を重ねると、若い人には自分の知らない分野について尋ねにくいことが挙げられます。知らないということを認めたくないプライドが邪魔をしてしまう場合があります。
実はプライドがない人だから尋ねられるのではなく、自分がその物事を知らないということを知っているから、尋ねられるのです。
プライドが邪魔をする人は、物事を知らないということを認めたくないのです。なんだか自分が劣っていると感じてしまうためです。また会話をするにあたって知らないことを指摘する人がいます。そんなことも知らないのかと。そうだとしたら、物事を尋ねにくくなってしまいます。
若い人や年配の方に、尋ねる場合にはコツがあります。
便利な言葉に、若い人には「先生」といって尋ねると尋ねやすくなります。
言われた方は気を悪くすることはありませんし、言っている方も知らないことを知ることができます。まさに魔法の言葉です。
続く