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情報から物事を知るとは
状況によっては、知るということが情報を得ることと同じ意味にとられる場合があります。
そのような場合は、一つの情報を「そうなのか」「そういうものか」と一度は捉えつつ、一方では、結論を出さずに保留にしておくことが大事になってきます。
そうでないと、その情報を軽視してしまい、全く忘れてしまうことがあります。
地道に情報を得たり、知識を増やしたり、様々なことを経験していくことで、各々の点という点を増やしていきます。それがある時に線として繋がっていきます。
線となったものは、場合によっては立体的に見え、全体を理解できることもあります。
そうなってくると、今まで分からなかったことが分かり始めてきたりしてきます。
物事が見え始めると、自分の進むべき方向も見えて、人生の決断ができるようになってきます。そうした事柄を認識しておくのに、適した考え方があるので紹介します。
ユダヤの法則
まず、ユダヤの法則と言われるものがあります。これは「78対22」の法則とも言われるものです。日本にマクドナルドを展開した藤田 田氏が書籍で紹介していました。
古代ユダヤで誕生した占いでもあるカバラ数秘術にも関係しています。
ユダヤの法則は宇宙の法則でもあり「78対22」の割合で物事は成り立っていると語っています。
例えば、次のような内容がそうです。
・人間の体は、およそ水分が78%、その他が22%で構成されている
・円に外接する正方形は、正方形の面積を100としてみると、円の面積は78、円以外の残りは22になる
宇宙の法則でもある「78対22」の法則をさらに考えてみると、偉大な宇宙でさえ人間を78として創造したので、人間がすることや考えることは、さらにその78になります。
計算すると、(100✖️0.78)✖️0.78 = 60.84 になります。
つまり人間は完璧と言ってもできているのは、全体の60%でしかないと考えられます。
そして、上記のことを知っていれば、100%完璧ということはない、と考えられるようになります。
また、そのように考えれば、自分自身に対しては謙虚になりますし、他の人に対しては寛容になります。とても大切なことだとも思います。
情報を取捨選択することは自分自身で行い、その結果を受け入れることができれば、より良い人生を歩んでいけると私は考えます。
そして場合によっては、やらない(やらないという行動をする)という選択をすることもあります。
昔は面倒だからやらないということであっても、今後はあえて行動しないという選択が増えています。もちろん、やらない結果のことを考慮してのやらないという行動の意味です。
人生を生きていく上で、唯一の正解を求めるというよりも、その時々に応じた最適解を求めることになります。
ここで情報収集について簡単に理解しやすい昔話を紹介します。
昔話「うさぎとかめ」
一つ目は「うさぎとかめ」の昔話です。
うさぎとかめ(出典:まんが日本昔ばなし)
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=656
うさぎはかめをあなどって、油断して昼寝をしたところ、かめに抜かれてしまいした。この昔話での一般的な教訓は、努力を怠ってはいけない、努力すれば目標を達成できる、ということかと思います。
さらにこの昔話の内容を深く思慮してみると、うさぎには遠くの音をよく聞くことができる耳、俊敏に走れる足という優れたものを持っていることに気がつきます。しかし、その優れたものを持っていても、競争では活かし切れないでいました。
また、もし耳と足のどちらかを活かすとしたら、どちらの方がより一層活かせるのでしょうか。
それは耳です。かめの足音が聞こえなかったので、寝過ごしてしまったうさぎでした。耳でかめの進行状態を知ることができたら、うさぎも瞬時に足を活かしてゴールまで一走りできたはずです
。
このように考えると私たちの人生にも示唆を与えてくれる昔話です。
うさぎの耳の機能にも似ていて、情報を入手(取得)することで的確な判断ができれば、人生のゴールに邁進することができます。
中国古典「戦国策」
2つ目は「戦国策」という中国古典にある話を紹介します。
題名は「君(きみ/あなた・ある人 ※君主・王とは異なる)、楚(そ)に行く。はた何(い)ずれぞ北面する」です。
魏王(ぎおう)は邯鄲(かんたん)を攻めようとした。季梁(きりょう)は外出先から着の身着のままで魏に戻ってきた。そして王の前で次のように言った。
(会話)
臣(しん/季梁のこと)が旅路の途中で、ある人を見かけました。その人は楚(そ)とは違う北の方角へ向かい『私は楚に行くところです』と、臣に話すのです。臣は『あなたは楚へ行くのに、どうして楚とは違う北へ向かっているのだ』というと、その人は『私の馬は駿馬(しゅんめ)です』とのこと。
また臣が『馬が駿馬であるにせよ、これは楚へ行く道路とは違う』といっても、その人は『私の旅費はたっぷりです』と。
さらに臣が『旅費がたっぷりあるにせよ、これは楚へ行く道路とは違う』といっても、その人は『私の手綱さばきは名人芸です』というのでした。
これらいくつかの条件がそろえばそろうほど、その人は、楚との距離はそれだけ遠くなるのです。
以下略
この季梁が魏王に話した例え話も、とても示唆に富むものです。本来行くべき方向が分からなければ、どれほど優れたものを持っていても、行くべき方向から遠ざかるというのです。
これは行くべき方向を見定めること、そのためには情報を入手するだけではく、その情報を活かすことになります。この点は前出の昔話「うさぎとかめ」でも同様です。
楚へ向かう人に対して、季梁は何度も方向(方角)が違うと伝えています。しかしその人は全くそのことを受け入れようとしません。また自分の行動に誤りが生じているのに、気がつかず訂正もしません。
この話は私たちにも当てはまる部分があるかもしれません。自分に誤りがあるにもかかわらず、そのことを受けいれられず、プライドが邪魔をしてしまうということが挙げられます。
「うさぎとかめ」では、優れたものを持っていても、行き先が決まっていましたが、優れたものを活かしきれませんでした。
「戦国策」の話では、優れたものを持っていても、行き先が違っていては、目標とは遠ざかるものになってしまいます。
心に留めておきたい話です。
(続く)